ADHD(注意欠如多動性障害)などの発達障害はいつ頃からいわれるようになったのでしょうか?
また特徴や症状についてもいつ頃から明確になってきたのでしょうか?
今回はADHDの歴史について紐解いていきます。
子どもたちの1割がADHD!?
日本の学校に通う子どものうち現在10%がADHDであるという調査結果が出ていますが、この10年、20年でADHDの子どもは年々増えています。
インターネットや近年テレビ番組でも取り上げられるようになり、発達障害やADHDの認知度が社会的に広まり、病院を受診する人が増えたからと言われています。
発達障害は認知されていなかっただけで、昔から存在していたのでしょうか。
そこで気になったので調べてみたところ、やはり昔からADHDのような症状の人々は存在していたようです。
ADHDの歴史を言及!スペインのヴァレンシア大学の研究チーム
スペインのヴァレンシア大学の研究チームが、18世紀以前の医者たちが現在のADHDのような症状を診断した際に 記録した説明文を発見し、論文にまとめました。
医師であり西洋医学の父と言われているヒポクラテスが紀元前493年にADHDのような症状の患者を診断した際、次のような記録を取りました。
自分の感覚に従い、衝動的に反応してしまう。同時にねばり強さに欠けている。なぜなら、魂が次の刺激を求めて次々と動いていってしまうからだ。
またヒポクラテスが残したADHDの原因をまとめた言葉に
体の中にある水の上の火のようなアンバランスさ
というものがあります。
ADHDの特徴を2500年前に既に把握していたというのは、驚きです。
18世紀から原因は先天性であることを提唱していた!
また、1748年にスコットランドの医師、アレクサンダー・クライトンは自身が出版した本の中でADHDの散漫性を、注意力が普通の人と比べて欠けているというスペクトラムをして捉えました。
クライトンはスペクトラムの症状が強い人のことをADHDのような障害を持っていると説明しています。
クライトンは本の中でADHDは
極度の衝動性、落ち着きのなさ、感情の激しい動きを伴う人たち。
と自身の言葉で残しています。
また、ADHDは生まれつきで、幼児期に現れるものと当時はっきりと記しています。
衝動性からくる破壊性についても言及!
さらに19世紀のイギリスの精神科医ヘンリー・モーズリーはADHDの衝動性は時に破壊的な行動をするということを 説明しています。
また脳の神経の異常によって引き起こされ、これは外的環境によるアクシデントによって引き起こされることも記されています。
世の中に広まっていなかっただけでこのように、古代から医師たちはADHDの症状や特性を捉えていたんですね。
このような書物が世界中に残されているのではないかと思うと、とても興味深いです。
発達障害についてはまだ未解明な部分も多くあり、歴史を知ると同時にこれから研究が進み、明らかにされていくことにも期待したいです。
それでは!
ADHDの子どもが増えている理由についてはこちらの記事をご覧ください。
ADHDと診断される子どもが増えている理由とは?